過保護放任の悲劇

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私はよく家庭問題について相談を受けます。

それを通じて思うのが子供の進路に金銭的な援助はするものの、将来についての話し合いや提案をあまりしない親の存在です。

過保護放任とでも言うべきでしょうか。今から振り返れば私の両親がこの過保護放任でした。

欲しいものは大体買ってくれる。学費の掛かる学校に行きたいと言えば行かせてくれる。ですが、その進路について深く話したことは一度もありません。

子供を信頼している上でのことかも知れません。金銭的な事情で子供の将来の可能性を閉ざしたくないという意地がそうさせているのかも知れません。

しかし、私は思います。あの頃の自分は無知で将来と社会を舐めていたと。中学生の頃からそんな自分に薄々気付いていたはずなのに、結局は何となく行きたいという理由だけで高校を選び、バイトをすることもなく何となく高校生活を送り、何となく選んだ会社に就職しました。

己の不甲斐なさを恥じる反面、どうして親は大切なことをあまり教えてくれなかったのだろうと憤りを感じたこともあります。両親は進路の選択肢を提示することもなければ、お金の重要性や社会で生きる難しさなど深く語ることはありませんでした。

人生の先輩として色々語れるはずなのにしなかったのは、私のことをよく見ていなかったからだと思います。これがしたいと子供が選択したからやらせてあげるというのは一見良さそうですが、子供の気紛れかも知れませんし、視野の狭さがその選択をさせていることも十分にありえます。しかし、子供の様子を見ていなければ視野が狭くなっているという判断はできません。

マナー意識にしても同じです。中学生時代にクラスメイトからスプーンの持ち方を指摘され、親の躾がなっていないと言われ私は怒ったことがあるのですが、今ならはっきり言えます。彼の指摘は正しかったと。

マナーや礼儀を学校や会社という組織内で身に着けることは当然あります。しかし、最低限家庭で教えられることもかなり多いはずです。

両親にマナーやエチケットに関する意識が高く知識が多いほど、家庭で覚えられることも増え「当たり前」の程度が高くなり学校や社会で得をします。周囲に余計な感情を抱かせることもなく、誰かに指摘という負担をかけることもなくなるのです。

私の両親なりに躾やマナー意識があったのは知っていますが、スプーンに関しては「当たり前」の程度が低かったのです。

私がマナーレベルの低さを強く自覚したのは成人をとうに過ぎてから。時々犬食いをしている自分にはたと気付き、とたんに恥ずかしくなったことを昨日のことのように覚えています。

つまり、指摘されたのがたまたまスプーンだったというだけで、実は社会的にマナーレベルが低いことに変わりなかったのです。

長くなりそうなので続きは別記事で。

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